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日曜日

田中さん

家族のことについて、随分話を聞いていただきましたが、まだまだ感じることは多いようです。

私はうつ病の母親を助けるために生きてきました。
私がいないと母親はだめになってしまうと思っていたし、実際高校生の頃の私に母親は「災害のときに紛れて自殺する」と言っていました。
だから3.11のとき、ひどく狼狽しました。
とうとう母親は死んでしまうんだと落ち込みました。
携帯が通じないだけで平気で生きていたわけなんですが。
とにかく、私がちゃんとすることで母親が救われればそれで良いと思って生きてきたのです。

父親に対しては、母親をうつ病にしたことをいつか責めたいという気持ちがあり、冷たく接してきたような気がします。
いつまでも帰らない父親に対して「死んでしまえ」と感じたこともあります。
きっとあのときだって、知らない女の人の身体を触っていたんでしょう。
でも、私はそれを知るまで、父親だけが救いでした。
愛されているとも思っていました。

幼少期に思い出すのは私に物を投げつける母親と、私を庇う父親。


私は母親が大嫌いで、父親に愛してほしくて仕方がなかったです。
だから母親のために生きてきた今までを呪います。
父親に褒めてほしくて頑張った私を見捨てた父親を呪います。

金曜日は深夜まで私の「不幸」を認めてくれてありがとうございます。
幸せがいつ来たっていいけれど、それを受け止められるだけの自分の器があるか不安です。
田中さんが仰る通り、苦しみを受け止める器はあるんです。
幸せだけは怖い。
それがどこから来るかもわからないのは尚更怖いよ、田中さん。